2011/10/06

That's my way

職場で「おいおい、ちょっとそれはないんじゃないの?」ってことがあった
詳しい事は割愛するが、さすがに私も閉口した

立場や相手によって付き合い方を変える人って、ホント嫌だなとつくづく思った
ああ、嫌な事は忘れよう
反面教師にすればいいんだ
そう思えば、彼女の存在も私にとってプラスなんだ


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集団行動が苦手だ
人に合わせるのも苦手
だから変わっているとよく言われて来た
仲良くするのが嫌いなのではない
昔から「みんな一緒/同じ」というのがダメなのだ

「好きなことをして生きる」という道に罪悪感を持つのは日本人ならではの感情で
欧米では、自分のやりたいことに積極的に生きることは美であり、当たり前だと思っている

私がアラスカにいたころは
欧米人の「これが私の生きる道(That's my way)」という生き方を見て来た気がする
堂々と自信を持って口にしている姿は、うらやましく思えた

我慢や忍耐という言葉が好きな日本人が「好きなことをして生きる」という言葉を口にすると
「そんなに世間はあまくない」という否定的で冷たい言葉が返ってくる

和や団結を尊いものとしている国民にとって
そのグループから抜けだして、1人で幸せになろうとしている人をねたましく思っているだけなのか

みんながんばっているのに、自分だけこんなに自由に生きていいのかと思ってしまう罪悪感がある

日本の「みんな今、辛いんだから、一緒に辛い事をがんばろう」的なことって、私はあまり好きではない
その風潮が、和の重みが、個人の感情をかき消してしまう気がするから

人生の半分をすぎ、病気になり余命を考えていた頃に
私は自分に正直に生きようと初めて想った 
それまでは「ガマンが美徳」だった

罪悪感はあって当然なのかもしれない
でも「そうしたかった」
この先、絶対に後悔すると想ったから
この決断が間違っていれば
一生背負って行く罰でも受け入れようと想った

本当は「これが私の生きる道」という恥ずかしいせりふを、積極的に言えるようにならないといけない
「これが私の生きる道」とどんどん口にして、
自分のやりたいことを具体的にする積極性を持たないと
いつまでも進路はもやもやのまま時間ばかりが過ぎてしまうから

恥ずかしいという気持ちになったということは、心のどこかで強く気にしている証拠で

それこそ、1番積極的にならないといけないことなのだ


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Apple社のS・ジョブズ氏がアメリカ時間の10/5に亡くなった(享年56歳)
偉大な創造者
彼はまさに現代のダヴィンチ

彼の有名なスピーチの一部を、追悼の意を込めてここに記させていただきます



私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」これには強烈な印象を受けました。それから33年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。
自分がもうすぐ死ぬ状況を想像することは最も大切な方法です。私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと危惧する必要はなくなるので、私の知る限りの最善策です。失うものは何もない。思うままに生きてはいけない理由はないのです。
今から1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は3ヶ月から6ヶ月と言いました。そして家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。これは医師の世界では「死」を意味する言葉です。それは、子供たちに伝えた10年分のことを数カ月で済ませておけ、という意味です。それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけ、という意味です。それは、さよならを告げる、という意味です。
私はその診断書を一日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方に生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。私は鎮静状態でしたので、妻の話によると医師が顕微鏡で細胞を覗くと泣き出したそうです。というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからなんです。こうして手術を受け、ありがたいことに今も元気にです。
これは私がもっとも死に近づいた瞬間で、この先何10年かは、これ以上近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死というのが有用だが単に純粋に知的な概念だった頃よりも、私は多少は確信も持って言えます。
誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。かつて死を逃れられた人はいない。それはそうあるべきだから。なぜなら「死」は「生」による唯一で最高の発明品だから。「死」は「生」のチェンジエージェントだから。つまり古いものが消え去り、新しいものに道を開ける働きです。いまの時点で、新しいものとは、君たちのことです。でもいつかは、君たちもだんだんと古くなり、消え去るのです。あまりにドラマチックな表現なのですが、それが真実なのです。
君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費やすことはありません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。




偉大な人は、神様が早くお迎えにくるものなんですね・・・・

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