一部追記しました
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震災から1年が経ちました
この1週間は特に、震災関係の番組を多く放送しています
1年経ったと想えないくらい生々しさを感じます
印象的だったのは、先日放送していた「自衛隊だけが撮った0311」という番組
膨大な数の犠牲者の遺体処理や捜索という過酷な任務、心身ともに屈強でないととても出来ない
自分の家族が行方不明でも、探しに行く事さえ許されない自衛官という仕事にホント驚愕
日本は国会議員がいなくてもやっていけそうだが
自衛隊がいなかったら本当に大変なことになる と本気で想った
あの日、家に居たら部屋がゆっくりと大きく揺れた
ベランダに飛び出した
ずっと終わらない揺れと、繋がらない電話 でもネットは生きていて
何度も続く余震の恐怖
テレビに映し出された、津波の怒号
流される車、家、船、人々、悲鳴。。。。
見たことがない恐怖
地獄絵図ってこういうことかと頭の奥で想った
思い出すだけでゾッとします
今でもテレビで地震速報などの音がすると、怖くなって夫のところに走り寄ります
日本に暮らしていて、こんなに怖いと想う地震は生まれて初めてでした
そして同時に放射能の恐怖や、原子力の実態をも調べたりしました
私は友人をひとり亡くしました
まだ40代半ば、働き盛り
20代の頃にはよく宮城野区の友人と海水浴に行ったり、松島に行ったりした
もう逢えないんだなと想うとせつないです
だけど、こんなに多くの犠牲があっても
時間は止まる事なく流れていて、横浜に住む私の周りでは
一時的に物流が止まって、ガソリンや保存食や水は消えたけれど
それもほんの数日で、1週間もするといつもの生活に戻っていきました
この1年何かが大きく変わった訳ではなく
年々、こうして記念番組的にちょっとずつ風化して行くのかもしれません
大事なヒトや家や思い出を波に流され、亡くした人々の心の痛みは
たぶん一生癒えるものではなく
何度も涙を流したり
何度も孤独に震えたり
何度もやりきれない怒りを堪えたりして、生きていかなければならないのでしょう
そして福島のように、まだ進行形の震災の傷を抱えているところだってある
いつになったら と、歯がゆい気持ちでいるだろう
だけどやっぱり心までは流されないで
必ずどこかにほのかに明るい一筋の光を見つかると信じて
またこれからの1年を生きていって欲しいと想います
報道では「絆」という言葉が氾濫している
心を寄り添いあい、ひとつに繋がろうという気持ちなのだろうけど
私は無理に気持ちを縛り付けるようであまり好きじゃない
本当の「絆」って何?
本当に被災者のためになることって?
震災以降、一部の被災地でない人たちの盛り上がりを見ていると
どうしてもイベント的な気がしてしまって あまり好きじゃなかった
こっちが「助けてあげている」みたいなヒト、いますよね
なんだか苦手なんです
「絆」という言葉で自己満足&助けている気分になっているような
絆とか社交とか苦手な人もやっぱりいますしね
なんだか強要しているようで
そっとひとりにしてあげる優しさだってあるのではないかな
私だったら、ひとりで消化出来るまで悲しんでいたい
だって長丁場だもの
いまから力んでいたら疲れるに決まっている
被災者の痛みを想像し
膨大な瓦礫を受け入れ
現地を理解しようと努力する、もっと広い視野で、絆なんて言葉で美化されるのではなく
ともに日本を良くして行こうという、なだらかで根のしっかりした想いでなければ
救えないと想うのです
過疎地のせつなさやジレンマ
そういう陰の部分も受け止められる社会だといいのですが
でも「希望」という言葉は好きです
ひとりひとりの心に芽生えれば
震災のことだけでなく、世の中にあるすべての絶望から救ってくれる原動力になる気がするから
どんなことでも
時間は流れ、変化する
永遠に変わらないことなんて無い
今がすべてではなく、これからのほうが大事だ
これからどうやって生きて行くかが、日本人としての本当の強さの見せ所
何度もこういう歴史を乗り越えて来た、強い日本人の子孫として祈ります
希望に満ちた日本の未来が、そこに待っていますように
そして少しでも力になれる自分になれますように
追悼の意をこめて
2012/3/11
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